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出会いの無常

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無常

釈尊が悟った時、衆生の多くは人間の出会い、この世が、無常であるのに常と見て、苦に満ちているのに楽と考え、人間本位の自我は無我であるのに我があると考え、不浄なものを浄らかだと見なしていた。
これを四顛倒(してんどう=さかさまな見方)という。
この「無常」を説明するのに、「刹那無常」(念念無常)・「相続無常」の二つの説明がある。
刹那無常とは、現象は一刹那一瞬に生滅することだという常に変わりゆくものだというすがたを指し、相続無常とは、人が死んだり、草木が枯れたり、水が蒸発したりするような生滅の命の過程のすがたを見る場合を指していうと、説明されている。
この無常については、「諸行無常」として三法印・四法印の筆頭に上げられている。これらは、仏教の根本的な考え方であるとされている。

なお大乗仏教では、世間の衆生が「常」であると見るのを、まず否定し「無常」であるとしてから、仏や涅槃こそ真実の「常住」であると説いた。
これを常楽我浄というが、これについては大乗の大般涅槃経に出会い、見ると良い。

無常と美と出会い

「祇園精舎の鐘の声」ではじまる軍記物語『平家物語』。 吉田兼好の随筆『徒然草』。 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」ではじまる鴨長明の『方丈記』など、仏教的無常観をぬきに日本の中世文学を語ることはできない。
単に「花」といえばサクラのことであり、いまなお日本人が桜や儚い出会いを愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。
「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよかろう。

諸行無常

諸行無常とは、仏教用語で、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。
この場合、諸行とは一切の出会い、つくられたもの、有為法をいう。三法印、四法印のひとつ。
涅槃経に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」とあり、これを諸行無常偈と呼ぶ。釈迦がその前世である雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。このことから雪山偈とも言われる。
「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」この半偈は流転門。
「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」
「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為の苦に出会い、その寂滅を楽といっているだけである。後半偈は還滅門。 生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。
この点を忘れてはならないとしているのが、仏教の基本的立場との出会いである。
なお涅槃経では、この諸行無常の理念を基盤としつつ、この世にあって、仏こそが常住不変の存在であり、涅槃の世界こそ「常楽我浄」であると説いている。

しばしば空海に帰せられてきた『いろは歌』は、この偈を詠んだものであると言われている。

いろはにほへどちりぬるを  諸行無常
わがよたれぞつねならむ   是生滅法
うゐのおくやまけふこえて  生滅滅已
あさきゆめみじゑひもせず  寂滅為楽

方丈記との出会い

『方丈記』は、鴨長明によって書かれた中世文学の代表的な随筆。
鴨長明が晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を結んだことから「方丈記」と名づけた。
鎌倉時代、1212年(建暦2年)に記されたとされているが、原本は残っていないと見られる。
現存する最古の写本は大福光寺本で出会い、しばしば研究の底本とされている。
漢字と片仮名、もしくは漢字と平仮名の混ざった和漢混淆文で書かれたものとしては、最古の優れた文芸作品であり、また乱世をいかに生きるのかという自伝的な人生論でもある。 吉田兼好の『徒然草』が書かれたのは、この後およそ100年後である。
清少納言の『枕草子』とあわせて日本三大随筆とも呼ばれる。また、隠棲文学の祖ともされる。(慶滋保胤の『池亭記』を祖とする説もあり)
鴨長明無常観の文学と言われ、冒頭で移り行くもののはかなさを語った後、同時代・または過去の災厄についての記述が続き、後半には自らの草庵での生活が語られる。
さらに末尾では、草庵の生活に出会い、その出会いにおいて愛着を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定している。

冒頭は「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」
結びは「干時、建暦のふたとせ、やよひのつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にて、これをしるす。」

釈迦との出会い

釈迦は、仏教の開祖である。他にも多くの異称がある。
本名(俗名)は、パーリ語形でゴータマ・シッダッタ、また、サンスクリット語形ではガウタマ・シッダールタ。漢訳では瞿曇 悉達多と伝えられる。

「釈迦」は釈迦牟尼の略である。
釈迦は彼の部族名もしくは国名で、牟尼は聖者・修行者の意味。つまり釈迦牟尼は、「釈迦族の聖者」という意味の尊称である。
称号を加え、釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼仏陀、釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来ともいう。ただし、これらはあくまで仏教の視点からの呼称である。
僧侶などが釈迦を指す時は、略して釈尊、または釈迦尊、釈迦仏、釈迦如来と呼ぶことがほとんど。
称号だけを残し、世尊、仏陀、ブッダ、如来と略すこともある。
ただし、仏教では仏陀・世尊・如来は釈迦牟尼だけではない。特に浄土真宗では単に如来というと阿弥陀如来を指すことも少なくない。
日本での釈迦との出会いは、一般にお釈迦様、仏様と言われているのを耳にするだろう。ただし、仏様は死者の意味で使われることも多い。
仏典ではこの他にも多くの異名を持っている。うち代表的な10個(どの10個かは一定しない)を総称して「十号」と呼ぶ。
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